RICCAR

ミシンメーカー「RICCAR(リッカー)」の設立は1939年、創業者は平木信二。昭和の時代に日本の家庭用ミシンのシェアナンバーワンだった歴史のあるミシンブランド。

1961年、渋谷の東急文化会館(現・渋谷ヒカリエ?)屋上に設置されていたリッカーミシンのネオン塔

RICCAR(リッカー)ミシンの歴史

RICCAR(リッカー)は日本のミシンブランドです。

かつてミシンメーカーとして昭和のミシン全盛期の時代に家庭用ミシン日本国内のトップシェアとなる。

1993年にダイエー子会社と合併し本体のリッカー株式会社は消滅する。

ミシンブランドとしてのRICCAR(リッカー)は2004年に株式会社ヤマノホールディングスに売却、その後2022年に株式会社NO EXCUSEに譲渡となり現在に至ります。

関連情報

・RICCAR(リッカー)の創業者である平木信二は浮世絵のコレクターとしても有名でコレクションの保存と公開することを目的に平木浮世絵財団が設立された

RICCAR(リッカー)は当時スポーツ活動に力をいれており全日本実業団対抗駅伝(ニューイヤー駅伝)では過去に3回リッカーが優勝している

・1970年には日本万国博覧会でRICCAR(リッカー)はワコールと共同でパビリオンを出展した

沿革


1939年 設立
前進となる「日本殖産工業」 が設立される

1943年 理化学工業に社名変更

1948年 ミシンの生産を開始

1949年 社名を「リッカーミシン」に変更

1957年 家庭用ミシン「RW-5」がグッドデザイン賞を受賞

1961年 東京、大阪、名古屋証券取引市場1部上場

1963年 新本社ビル完成により本社を東京都中央区銀座に移転

1964年 RiccarAmericaCompany 設立

1967年 RiccarFranceSA 設立

1969年 RiccarEuropaGmbH 設立

1970年 日本万国博覧会でワコールと共同でパビリオンを出展

1973年 社名を「リッカー」に変更

1978年 RiccarUK 設立

1994年 ダイエーファイナンス等と合併しダイエーオーエムシー(のちのオーエムシーカードおよびセディナ)になる

2004年 オーエムシーカードは子会社のリッカー販売を、ヤマノホールディングスに営業譲渡する

2022年 株式会社ヤマノホールディングスは「RICCAR(リッカー)」のブランド商標権を株式会社NO EXCUSEへ譲渡へ


RICCAR(リッカー)家庭用ミシン

1939年~

・足踏み型黒ミシン

・箱型タイプミシン

1957年 「RW-5型」がグッドデザイン賞を受賞

・マイティシリーズ ※キャッチコピーは電子のお針箱
1970年 777型

1971年 RZ-1600型

1972年 2100型

1973年 2500型

1974年 マイン560型、マイン570型

1975年 フリーアーム8000型

1976年 A-300型

1977年 A303型

1978年 A-1000型

1979年 40型

1980年 80型

1982年 B-3型

1984年 NC-3型

RCM

1988年 1120型、1130型

1989年 1230型

・ホリデーヌ

1990年 1090型、1240型

1992年 1021型、1530型

2022年 新たなRICCARミシンを~coming soon~